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本ページは、ファンによるサイトであり、浅野温子さんや事務所や公演実行委員会とは関係ありません。 |
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浅野温子語り舞台~日本神話への誘い
このページは浅野温子さんの自ら企画でライフワークとして今後も続ける |
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語り部/浅 野 温 子 脚本 /阿 村 礼 子 |
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ここから始まった... 製作発表 (2003.9.15)
日本神話の元になっている「古事記」に題材を取り、日本各地の神社の社をステージにして、浅野温子さんが読み語りをするひとり舞台『浅野温子語り舞台 日本神話への誘い』が、2003年10月4日の伊勢神宮内宮を皮切りに全国上演されることとなりました。
公演は「古事記」の中でも主に神々の物語で構成される前半部分から題材を取り、そこにオリジナルな解釈を加えて脚色した、いわば“浅野温子版神話物語”とでも言うものです。
記者会見の席で浅野温子さんは「幼い頃に読んだり聞いたりしていた神話や説話が現在では失われていると感じ、その原典である古事記を次の世代に継承する必要がある、という強い思いでこの企画を立ち上げました。「語り」というスタイルを選んだのは、自分から発信して「自分の言葉で自分の物語を語ってみたい」。自分がやってみたいことを一人で出来る、他人を巻き込まないと思ったからですが、ここまで大げさになると思いませんでした。」と、これまでの経緯を語ります。
この浅野さんの主旨に共感して、「実行委員会」として集まることになったのが日本の神々をまつる神社の関係者・神職の方々。神社を巡る今回の公演が実現の運びとなりました。
現在、全国には約8万社の神社があるそうですが、「八百万八幡(やおよろずはちまん)全ての神社を回りたい。」と浅野さん。「一応20年を区切りと考えてはいますが、それでは無理なので、宮司さんたちと力を合わせて、何年かかっても必ず全ての神社を回って、ずっと続けていきたい。必ず実現できると強く思っている。」と、自らのライフワークとして語り続ける意気込みを見せます。
「将来的には、語る土地にまつわる話なども含め、ヴァリエーションを増やしていきたいが、舞台装置なども大げさにならないようにして、シンプルに話の面白さを伝えたい。1時間20分くらいでまとめられたらいいな、と思っているが、頑張って良いものにしていきたい。」と。
「神社は小さい頃に遊んでいた、一番自分の子供の時に親しんだ場所で、そこで演りたいと思った」そうで、神話に縁の舞台を得ての公演に夢は膨らみます。
「日本の神話には面白い話がいっぱいあることを次の世代に伝えたいし、大人の人にも思い出して伝えて欲しい。20年続けた時に生活の会話の中に神話がきちんと存在するように出来たらいいな。」 |
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この企画が実現するまで 「私たちが子どものころは、神話や民話って生活の中に自然にとけ込んでいたものだった。そういった日本の財産がどんどん失われていくのは寂しいよねえ」数年前、浅野温子がふと発したこの言葉がすべての始まりでした‥・。 子どものころ、大の本好きだった少女は、学校や近所の図書館に行っては児童書を手に取り、『因幡の白うさぎ』や『八俣のおろち』『海幸彦・山幸彦』などの物語を夢中で読みあさりました。その世界には、スリル満点の冒険スペクタクルやロマンティックな恋愛ファンタジー、時にはドロドロとしたサイコサスペンスまでが展開していて、少女をハラハラ、ドキドキさせたのです。そしてそういった物語を通して彼女は‥‥いえ、かつての多くの子どもたちは、愛や憎しみ、苦悩や葛藤といった人間の心理、また親子の絆や友情の尊さ、時には社会のルールや道徳心といったものまでをも、自然に教わったのです。 今、世の中にはうんざりするほどの犯罪が溢れ、歪んだ道徳観や倫理観が横行しています。子どもたちまでが殺伐とした空気にさらされ、心が傷むことの多い日々です。こんな時代、子どもたらの心に、豊かでスケールの大きな物語を伝えることはできないだろうか・‥‥。そう思ったとき、浅野温子の脳裏に蘇ったのが、かつて読みふけった日本の神話の数々でした。 彼女は再び『因幡の白うさぎ』や『八俣のおろち』などの物語を辿ってみようと『古事記』を手に取りました。するとそこには、子どものころ読んだ児重言には紹介されていなかった物語もたくさんあり、それが彼女の中に新しい感動をもたらしました。「この物語を、自分の手でできるだけ多くの人々に伝えたい」この時、浅野温子の中に、"日本神話をひとり語りしていく舞台公演 ”という構想が生まれたのです。 以来、彼女は折あるごとに親しい人々にそういった思いを打ち明けました。そして、その思いに共感し、協力を申し出てくれる人が、ひとり、またひとりと増えていきました。まず、神職の方々が語り舞台のステージとして境内を提供しようと名乗りをあげてくれました。日本の神々をまつる神社関係者も、日本神話を次世代に残していく意味と価値を充分に感じていたのです。それが、この企画の具体化の第一歩となりました。 そして、さらに制作に協力してくれるスタッフも徐々に揃い、ついに平成15年「浅野温子語り舞台公演実行委員会」という集まりが生まれました。この企画は、発案者である浅野温子を中心に、大切な日本の文化遺産を伝え広め、継承していきたいという思いを共にする有志チームの手によるものです。
語り舞台を自ら企画したきっかけは?
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「40代になって初めて、自分ができることで、しかも自分の中でなくならないものを何かやりたいなって思うようになって。行き着いたのが日本神話(『古事記』)だったんですよね。日本人の発想から生まれた数多くのお話、その元である『古事記』を伝えていけば、時代が変わっても、私の大好きなお話、『銭形平次』も宮部みゆきも、その大事な核っていうものはな
くならないんじゃないかなって。じゃあ、責任とる怖さも覚悟して、一生かかっても、全国の神社を回ろうって。」
http://kouhou.city.kashima.ibaraki.jp/detail.cgi72007)
30代半ばで舞台を始めた浅野さんが、「やりたい芝居を自分から発信したい」と思ったことから準備を始めた計画が、現実のものとなりました。日本全国に点在する8万余りの神社を巡ることを目標に、 行なっています。
ライフワークとして、
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「八万あるといわれる神社をすべて回るのが最終目的だから。20年後なんて、200社回れるかどうか。でも一生やる、と言うと皆気が遠くなりますから、それで区切りとして20年、と。始まったとき、「目指せ100歳」と言ってたんですけど、それじゃ足りないことに気がついちゃった。だから、スタッフ一同、「寿命は150歳!」と言ってるんです。(笑)」
舞台衣装にジーパン・白いTシャツ
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「私の語り舞台は、神社が主人公です。ジーパン姿など、どんな身なりの人でも、神社はすべての人を受け入れてくれる所なのです。それを伝えたくて。」
エピソード ■ 台本は有志、若林清美さんが一字一字手書きしたものを印刷して和とじに。(雑誌 ミセス 2005年8月号 より)
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劇場ではありえない、自然の環境の中で公演なさる気分は「鹿島神宮は磁場が重いのか、上からうーっとのしかかってきて、意識がぽーんと持っていかれる。伊勢神宮はものすごく軽いんです。ずーっと風が通る感じ。出雲大社は止まってる感じ。神社によって違っておもしろかったですよ。」
■「日本神話の脚本を何度も公演すると、つい覚えて、暗誦したくなりますが、あくまで「初めての気持ちを維持する」とこに徹し、初心を忘れずに日本神話の世界を伝えたいと思います。」
関連レポート
盛岡八幡宮2005.7.24
公演レポート:
盛岡八幡宮2006.7.22
公演レポート:
公式サイト
浅野温子語り舞台「日本神話への誘い」Official
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BLOG「語りVOICE」
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